私事のブログ

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子供に読んでもらいたい漫画 2回目

いきなりですが、続けて2回目です。というか、1回目と2回目は一緒の記事に書いてあったのですが、長くなったので分離しました。


うしおととら(33): 33 (SSC)うしおととら(33): 33 (SSC)
(2012/09/25)
藤田 和日郎

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うしおととら

からくりサーカス 18 (少年サンデーコミックス〔スペシャル〕)からくりサーカス 18 (少年サンデーコミックス〔スペシャル〕)
(2012/11/16)
藤田 和日郎

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からくりサーカス

月光条例 20 (少年サンデーコミックス)月光条例 20 (少年サンデーコミックス)
(2012/11/16)
小学館

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月光条例

長期連載作品の3作。

 藤田先生の作品は、とても長い期間追いかけてきました。具体的には初めの方の読みきりから。初連載の「うしおととら」はとても面白く、今でもたまに読み返します。いくつかの短編を挟みながら、2本目の長期連載である「からくりサーカス」、「邪眼は月輪に飛ぶ」や「黒博物館スプリンガルド」などの連載を経て、現行作である「月光条例」にたどり着きます。
 月光条例の「マッチ売りの少女(コミックス13巻以降が該当)」の辺りを読んでいたときに、ふと「藤田先生は、ずっとこれが書きたかったのかなぁ・・・」と感じました。はじめのことばに「ながねんのうらみをぶちかまそう」とあります。「つらい、くるしい」その果てに理不尽に死んでいったキャラクター。その話しを生み出した人に「なんでこうなってしまうんだ!!」と、すっと言いたかったのでは、と。もちろん、その理不尽にも意味があるということも、作品に盛り込んでいます。

 ずっと感じていたことですが、藤田先生は「理不尽なこと」がとても嫌いなのではないでしょうか。藤田先生の作品の主人公たちは、何時だって理不尽と戦っています。「うしおととら」の蒼月潮はいつだって、誰かに向けられた理不尽や悲しみに立ち向かっていました。ほかの作品もそうです。そしてこの「月光条例」は、チルチルの「理不尽なことに対する怒り」が、全ての話しの発端になっていました。

 藤田先生の作品を、私が一言で言い表すと
「いい青臭さが詰め込まれている作品」
です。怒られてしまうような表現でしょうか(汗)。しかし、そう感じずにはいられないのです。真っ青な空のような心を持った人が、血も汗も涙も流しながら、ほんの少しでも誰かの助けになれたら・・・藤田先生の描く主人公は、こんなキャラが多く感じます。彼らが涙を流すとき、私も本を手に、共に涙しています。気持ち悪いおっさんですね。すいません。でもこういうのが「心を奮わせる作品」というのでしょうね。
 前に藤田作品を女性にお勧めしたことがあります。「知ってはいるけど、絵的に入りにくそう」というご返答でした。女性からすると、美麗な作品でないと入りにくいのでしょうか。確かに、私が藤田先生の絵から感じる感想は「泥臭さ」です。でも、それを悪い意味で言っているつもりはありません。こういってしまうとなんだかおかしいかもしれませんが「洗練された泥臭さ」なのです。
 よく「美麗」といわれる絵は、人のそういう・・・泥臭さとかそういうものを完全に排除してしまっているので、確かにきれいではありますが、なんというか、こう「薄っぺら」なのです(もちろん、全ての絵師さんがそうとは言いません)。しかし、藤田先生の絵は、そういった絵が排除しているものを捨てていない「人間味のある生きている絵」だと感じます。

 うしおととらの潮の台詞で「殴った手のほうが痛いことだってあらぁ」という言葉があります。子供心に「なるほどなぁ・・・」と思いました。私は小学生のころ、本当に問題児・・・つまりはクソガキだったので、よく担任の先生から殴られました。ほんっとうに沢山殴られました。でも、その先生を嫌いになることはありませんでした。きっとそれは「殴った先生のほうが、心に痛みを感じていたから」なんだなぁと、この台詞をみておもいました。小学5年生のころです(年齢バレルか)。
 今はどんなことがあっても児童を殴れないんですよね。なんでだろうなぁ。痛みを分け合わないと伝わらないことだって、確かにあるはずなのに・・・。叱ると怒るが違うということを、知らない(心で)人が増えてしまったのかなぁ。「殴らなくても伝えられる方法がある」じゃぁない、「殴るのは伝える努力をしていないから」これも違う。言葉とコブシは手段として、イコールではないのです。ノットイコールです。厳しい、心無いと感じられるかもしれないけど「悪事には応報がある」ということを、言葉ではなく行為で理解させなければいけない。その痛みを知ることで、他人が受けるかもしれない痛みも知ることが出来ると思うんです。それを分かってもらえないんだなぁ。

 話しが完全にそれましたね。すいません。
 なんで藤田先生の作品を読んでもらいたいかというと、つまりはいままで書いてきたような理由です。「理不尽なことを見過ごす情けなさ」「理不尽を他人に押し付ける傲慢さ」「折れない心を持つこと」などなど・・・。藤田先生の作品にはどれも、決して浅くない「人生」が書かれています。その生き様を観て、時に泣いて、時に憤りを感じて・・・そういったことが出来れば、言葉では言い表せなくても、気づいたときには多くのものを受け取れているのではないでしょうか。

 月光のおじいさんのある台詞、私はとても感じ入りました。私の言葉で抜き出してみると、
「大人は子供にモノサシを作ってやらなくてはいけない。それは、やっても良い事や悪い事を測る基準で、生きるための最低限の心構えみたいなものだ。それを教えるのに資格はいらない。これからを生きていくのは子供であり、大人の資格などはどうでもいいことなのだ。子供は自分の心でモノサシを作り出すことはできないんだから、その基準や考えるきっかけを、大人がちゃんと教えてあげなくてはいけない」
長くなりましたがこんな感じです。私は、これを心に刻んでいます。昔は、悪いことをしたところを見られたら、その見つけた人が赤の他人であっても、子供を叱ったものです。いまの若い人には理解できないでしょうか。「なんで関係ない人が怒るの?」と思ってしまいますか?でも、叱ることに資格はいらないんです。自分の中に資格を作ってはいけないんです。それを理由に逃げてはいけないんです。他人に無関心になってきてしまった大人にも、藤田作品を読んでもらいたいですね。

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えんり 

Author:えんり 
キレやすい幼い心をそのままに大人になったキッズ

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