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『Life pf Pi』感想 ネタばれ注意

ホントにネタバレ注意です!
Life of Piの筋を知りたくない人は戻ってください。何か残念なことがあっても一切の責任は取りません。


ちなみにセリフなどは、うろ覚えどころか、言ってる内容を思い出しながら書いているだけなのでまったく一致していない可能性があります。鵜呑みにしないでね!

Life of Piを観に行きました。

 個人的にも興味がある映画であり、家族も「行きたい」と言っていたので、わざわざ車で遠い街まで行きました。

 感想。
 私が見たのは3Dバージョンです。映像がとても美しかったです。幻想的なシーンは一見の価値ありです。

 シナリオ的には、大人になったパイが、ある作家に過去の出来事を語るという手法で進んでいきます。パイ少年が、なぜ故郷を離れることになったのか。なぜ漂流することになったのか。そして、どうやって生還したのか。それを、順を追って語っていきます。

 単純に言ってしまうと、少年と虎が漂流して、生還するまでの話しです。それだけです。ほんとにそれだけです。
ですが
 映画の最後の部分、パイ少年が生還した後の病院のシーンで、この物語は一気に深みを増します。入院したパイ少年と、沈没した船の保障会社(だっけ)の社員との会話です。ちとうろ覚えですが、つまるところは「沈没した理由など、納得いく理由を調査しなければならない。君が漂流して生還できた理由も調べなければならないので協力してほしい」みたいな感じです。ちょっと間違っているかもしれませんが、おおむねこんな話しでした。

 パイ少年は、シマウマが脱出用のボートに落下してきた衝撃でボートが落ち、自分と、落ちた衝撃で足を折ったシマウマだけが、ボートに乗って海に投げ出されたこと。浮かんだバナナに乗ったオラウータンがボートに着たこと。ボートに乗り込んでいたハイエナと虎のことを話しました。そして、ハイエナに殺されたシマウマとオラウータンのこと、そのハイエナを殺した虎のこと、残された虎と、どのような漂流期間を過ごしたのか。
 途中に漂着した浮島。ミーアキャットが大量に生息している、虎にとっても自分にとっても、食料に困らない場所。しかし夜になれば、島の地表にいる生き物を、酸性の液体で溶かして養分とする恐ろしい食肉島の話しをしました。

 しかし、保障会社の社員は言います。「バナナは水には浮かない」「そんな島は発見されなかった」。つまり「君は、嘘をついているか、追い詰められて幻を見ていたんだ」といっているのです。「あんなに長い期間、虎などと言う獰猛な生き物と一緒で生還できるはずが無い。子供一人でもだ」つまりは

「君が動物だと思い込んでいたモノは、その実、人間だったんじゃないか?」

 ハイエナは「船の食堂で働いていた意地悪なコック」

 シマウマは「パイの家族に親切に話しかけてくれた船員」

 オラウータンは「パイの母親」

 そして・・・・・・




 「虎は、パイ自身なのではないか?」と

 もちろん、パイ少年は納得できません。命を削って虎と生きた227日は、彼の中で確かに存在していたのですから。

 しかし、ここでそれを証明できる存在は、当事者のパイただ一人なのです。個人的見解ですが、事象は、第三者が観測して、初めて確実性を持ちます。つまりはパイ少年と虎が漂流していた期間を、第三者が観測していない限り、それは言ってしまうと「存在していない」のと同じなのです。
 漂流期間はもちろん、シマウマ、ハイエナ、オラウータンなどの動物が存在していたことすら、救助活動に当たっていた船員が死んでしまっているので、証明できません。これらの動物は食べられてしまったのでしょうが、パイ少年と虎は、漂流中に嵐に遭ったとされているので、骨や屍骸が流されてしまっていても不思議ではない状況が作り出されています。漂着した最後のシーンで、虎を目撃した人がいればあるいは、なのですが、それもありません。この状況では全ての事象は、パイ少年の空想であると判断されてしまっても仕方が無いことなのです。

 パイ少年は、保障会社の社員に語ります。

「ボートには、足を折った親切な船員と、自分が乗っていた」
「意地悪なコックもいた」
「母も乗っていた」

「コックが、船員を殺した。コックは船員の死体を餌にして魚を釣った」
「母が、それを非難した」

「ある日、母が僕をいかだに逃がした」
「母もすぐに逃げてくるものかと思っていた。けど、母は来ずに、ボートに悲鳴が響いた。母は殺された」


そして、虎であったパイ少年が、ハイエナであったコックを殺した。



 保険会社の社員は、この話も気に入らなかったと、パイは語りました(だよね?)。



 さて、この「Life of Pi」は、上記の情報によって大きく筋が変わります。

1.動物達は実在し、パイ少年は虎と共存を図り、227日を乗り切って生還したという話し。

2.動物達は、追い詰められたパイ少年が見たまぼろし。そもそもボートには「パイ少年1人」しか乗っていなかった。

3.漂流したのは事実だが、パイ少年以外の何者もボートには乗っておらず、漂流中の話しはパイ少年の「嘘である」。

4.パイ少年が動物だと思っていたのは、実は人間であった。しかし、パイ少年は悲惨な現実により「記憶のすり替え」を起こしてしまっていて、人間を動物と「思い込んでしまっている」。

5.パイ少年は、動物と説明している存在が実は人間であると言うことを「理解している」。コックを殺した罪の意識から逃れるために、自分の分身「虎」を作り出し、虎がハイエナを殺したと言う話しをでっち上げている。


 大体この5つに分かれると思います。何かが居たと仮定すれば、「動物がいたのか、人間がいたのか」この2つになります。保障会社の社員としては「動物と生き延びた」と言うよりは「人間と居た」と言うほうが理にかなう話しであるということなのでしょう。

 
 パイは作家に問います「君はどっちの話しがいい?」。
 作家は言います「動物との話しがいい」。この言葉を聞いて、パイは礼を言います(いったよね?おぼえてないw)。

 作家は「自分などがこの話を書いてしまってもいいのだろうか」と、パイに問いかけます。パイは言います

 「もう、君の物語だ」

 間接的にも、公平に2つの話しを受け止めた観測者が現れて、この227日は初めて「命を持った」と言うことなのでしょうか。その上で、観測者がどちらの「真実」を選ぶかは、その者の自由なのだ、と。
 つまりは、この「Life of Pi」を観た人間が、どの真実を選ぶかは、その人の自由だということなのでしょうか。真実は、観測者の数だけ存在します。私が気づいたものとはほかの答えを持つ方は沢山いらっしゃることでしょう。


 227日目。パイ少年と虎は、砂浜に漂着します。そしてその場所が、1人と1匹の今生の別れの場になります。パイは言います。
「ジャングルに消える前に、虎はこちらを振り返り、低いうなり声にも似た挨拶をして、それから去っていくものかと思っていた。けれど実際は、振り向きもせずに僕の前から立ち去った。父の言ったことは正しかった。野生の動物とは、心を通わせることは出来ないのだ。それが悲しかった」。(みたいな事を言ってた気がします)

 これについてはどのような解釈が成されるのか。

1.虎がパイ自身だとすれば、自分助かったことは「自分で分かっている」なので振り向く必要は無い。

2.虎がパイのまぼろしだとした場合は、記憶にある父の言葉を肯定するために振り向かないのであれば、助かったと分かった瞬間に、自分を苦しめた自然(広い意味で全ての自然や野生)と、やはり心を通わせることは出来ないという妄執にとらわれる。

3.虎が本当に存在していたとして、やはり野生と人の心は相容れないものであり、振り向かない。もしくは、自分と同じようにパイが助かったことを理解しており「あえて振り向かない」。

 などと、いくつかの考えが思い浮かびました。もちろん、これらが正しいということなどあり得ず、また、間違っていると言うこともあり得ません。答えは観測者の数だけ存在し、また「これが正解だ」と定めてしまうことは、思考の放棄などであえてしません。
 この「Life of Pi」は、見た人間に問いかけはしますが、決して答えは与えません。まさに「君はどの話がいい?」と言うことなのです。この映画にかかわった全ての人間に「信じたい物語」と言うものがあります。「出題のために、あえてどれも信じず、全てを信じる」という選択もあるとおもいますが、心の底では「何かを唯一の真実だと信じたい」と思っているのが人間だと、私は思います。だからこそ、この物語は、見たもの全員に対する問いかけを持っています。

「君は、何を信じる?」

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Author:えんり 
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