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どうぶつの国

 久々の漫画記事。どうぶつの国です。前にも書きましたが、今回も書きます!!
 
注意
 独自解釈だらけなので、共感批判、賛否評論あるとは思いますが「こういう考えの奴もいる」と読んでいただければ幸いです。

 加えて、ある程度の「どうぶつの国」の筋が書いてあります。ネタばれになるのでそういうのがダメな人はバックしてください。記事自体に問題がある場合は、その旨を伝えていただければ削除を検討します。


どうぶつの国(11) (講談社コミックス)どうぶつの国(11) (講談社コミックス)
(2013/03/08)
雷句 誠

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「残酷で、儚くて、優しくて、悲しく、それでいて強い。だからこそ命は輝く」

 昨今、萌えなどの要素を狙って取り入れすぎて、いまいち「何を伝えたいのか」が分からない漫画が増えてきているように思えます(私が受け取りきれていない、と言う場合も多々あるでしょうが)。

 そういった作品が悪いとは言えません。時流ですし、商業作品である以上、一定の売り上げ=人気を取れなければ話しにならないでしょう。要は読者が買ってくれるような作品を描ければ良い訳です。その点で言えば「やおい」と言われそうな作品(やおいは元々の意味のほうですよ)はそれほど見かけません。たまに在ったとしても、それ自体を「●●系」と言うジャンルとして売り出している、ある意味、新種族の系統です(新というほど歴史は浅くない気もしますが)。ほかにも、ヤマは薄くとも、なんだか深そうな薀蓄や台詞があり、その意味を見つけることを楽しめそうな作品もあります。
 ダラダラと書きましたが、結局は読者の趣味なんですよね。「血風巻き起こる神剣バトル物」が好きな人、「とにかく萌え要素全快のラブコメ」が好きな人、「ゆったりと時間の流れるような日常系」が好きな人・・・・・・。人の数だけ作風があり、好みのジャンルがあるわけです。
 斯く言う私は「時に笑え、時に泣け、時には胸が締め付けられるような痛みを感じ、それに乗って作者の伝えたいことが”これでもか!!"と言うほど伝わってくる作品」が好きです。非常に贅沢ですね。

 前にも紹介させていただいた「どうぶつの国」は、そんな私の好みに全面的に当てはまる作品です。これほど強い感情が伝わってくる作品を、私は多く知りません。

 「傷つき血を流しながら、流れる涙をぬぐいもせずに、倒れそうな体を杭に縛り付けてでも、立って叫び続けている」。読んでいて、誰のとは言いませんが、そんな姿を想像しました。
 作中で、動物が、とにかくガンガン死にます。私がとにかく凄いと思うのは「きっちり殺す」ことです。明らかに「これは死んだ」と思える傷を受けた人物が、実は死んでおらずに主人公を助けに来る。バトルもので言えば古くから技法です。熱い展開になりやすいですね。敵の場合や、味方として死んだ用に見せて実は黒幕、なんて場合もあります。
 しかし、どうぶつの国では、シリアスな場面で「死ぬ役目」を持っている動物は、仲間であろうと対立する動物であろうと「しっかり死んでもらう」という形を取っているように思えます。この「死」は雷句先生にとって、「伝えたいこと、考えてほしいことを、読者に渡すためのプロセスのひとつ」なのだと、私は考えています。ここで、大雑把ではありますが、どうぶつの国の作品概要に触れさせていただきたいと思います(作品は何回か読み返してはいますが、内容が前後しているかもしれません)。


 主人公であるタロウザは、「肉食動物と、それに搾取される側の動物の融和」を目的として戦い続けています。どうぶつの国の世界では、人間はある理由によりタロウザを含め5人しかいません。その5人は「奇跡の子」と呼ばれ、全ての動物たちの声を理解することが出来ます。
 しかし、彼ら5人の意思は統一されていません。タロウザのような思想を持つ子供もいれば、「それは自然の摂理に反する“不自然”だ」と考える子供もいます。そうです、不自然なんです。タロウザの考えは。現実では在り得ない、在りえてはいけないかもしれないことなのです。つまりは、第二次消費者と第三次消費者のピラミッド段を、崩してなくしてしまうと言うことです。
 この食物連鎖のピラミッドがあるからこそ、生き物はそれに適応、または抗うために進化を繰り返してきました。それをなくしてしまおうというのです。

 「全ての動物の声を理解できる」。この能力を持つからこそ、タロウザはどうぶつの国に現れ、生き延び、それゆえに悲しみを知り、同じ悲しみを持つものと、それを”知ることすら出来ない”ものの存在を理解しました。旅に出たタロウザは「肉食動物でも食べることの出来る実」を手に入れます。草を食べ物として受け付けることが出来ない肉食動物が、ほかの動物を食べなくても済む手段を見つけたのです。
 タロウザは、全ての動物達の融和のための最終段階として「種族の違う動物たちが、互いの声を理解できるようにする」ために、ある装置を起動しようとします。それが成功した場合、肉食動物達は、搾取される側である草食動物たちの嘆きを聞くことになります。肉を食べる動物達の中には、苦しみ悩み、自分の存在に疑問を持つものが現れるでしょう。それを承知の上で、タロウザは装置の起動を目指しています。失う者の悲しみを消し去るために。

 タロウザの仲間は、彼の意思に賛同し共に生きてきた動物達や、家族を肉食動物に食べられた動物達などがいます。
 そして、声はわからずとも「自分の生き方に疑問を“持ってしまった”肉食動物達もいます。

 作者の雷句先生が伝えたいこと、書きたいこととは何か。

「全ての動物が、分かり合えたら素敵だ。共に生きることが出来たらすばらしい」

 確かにすばらしいし素敵なことです。ですが、それが全てではないと私は考えます。
 どうぶつの国では、仲間も、敵も、どんどん死にます。腕が吹き飛び、首が消し飛び、内臓が腹からこぼれだします。完膚なきまでの凄惨な“死”を読者に見せることによって「生きること、死ぬこと」をとにかく強く意識させます。これは、現代において希薄になってしまっている「生死観」を、雷句先生の中にある形で読者に伝えようとしているのではないでしょうか。
 ガッシュで一躍人気漫画家となった雷句先生。アニメの放送されていた時間帯もあって、先生のファンには大人だけではなく子供も数多くいます。ガッシュでは、本誌のバトルにおいては、結構過激な表現があったと思いますが、アニメ版ではストーリー変更や修正が施されていました。低年齢層におけるガッシュは、多くの場合、日曜朝のアニメでしょう。そのガッシュを見てファンになった子供たちが、次に雷句先生の作品を見ようとすると、この「どうぶつの国」になるわけです。
 「どうぶつの国」は、たとえば小さなお子さんが読んでいたとして、お母さんが見たら思わず止めてしまいそうな過激な表現がいたるところに描かれています。

 それはなぜか?
 雷句先生にとって、アニメのガッシュを見て好きになった子供たちはどうでもいいのか??

 それについて、私はこう思うのです。

自分の作品(ガッシュ)を好きになってくれた子供たちに、この意味を考えてほしいから、消化しきれずとも心に残してほしいから、あえて「描きたい形をごまかさずに、描きたいものをかいた」

 生きる事とはなんだろう?
 どういうことになったら”死ぬ”って言うんだろう?
 痛みってなんだろう?
 死んでも消えないものってなんだろう?
 
 アニメのガッシュの放送終了と、どうぶつの国の連載開始には、実3年以上の開きがあります(先生にとってはいろいろと大変な時期であったようですが、ここではその話には触れません)。
 例えばですが、幼稚園でアニメを見ていた子供は小学校低学年に、小学校で見ていた子供は高学年、または中学生になっています。小学生と言えば、新しい集団に入るによって、今までは自分の周りに無かった様々な要素に触れ、それまでは起こりえなかったディスカッションが起こる時期です(ここでは、小難しい意味では捉えていません)。死についてはじめて認識するのも、この時分ではありませんでしたか?「死ぬってどういうこと?なくなっちゃうの?パパもママも死んじゃうの?僕、死にたくないよ」と、両親にいって困らせた記憶はありませんか?この年齢は、新鮮に、真剣に受け止めることが出来る、ある意味「チャンス」の時期なのです。「三つ子の魂」と言いますが、幼いころに根付いた思想は、大人になってもその根本を変えることは、多くの場合、ありません。

 もしも「どうぶつの国」が子供たちの目に触れることがあるのであれば、「命の意味。他人の痛み」そういったものを考えるきっかけになることが出来ればいい。そんな意思が伝わってくる気がします。人の痛みへの考えが希薄になりつつある現代への、雷句先生の「攻撃」のような、そんな気が。

 とにかく、とにかく強い感情が伝わってくるんです。喜びにしろ、悲しみにしろ、苦しみにしろ。こういう作風の先生を、私は知っています。

 それは「藤田和日朗」先生です

 雷句先生は、藤田先生の大ファンとのことで、藤田先生の下で6年間、アシスタントを務めていらしたそうです。藤田先生の単行本の巻末でも、雷句先生が登場することがありました。ヒーローババーンとかね。雷句先生は、藤田先生の表現方法に多大な影響を受けていると感じます。もちろんそれだけではなく、雷句先生独自のオリジナリティが、影響をうけた部分と混ざり合って化学反応を起こし、独自の形に昇華しています。

 こういった作風の漫画家さんが増えることは、私にとって、とてもうれしいことです。伝えたいことがあるからこそ、描きたいものがあるからこそ、狭い範囲で閉じてしまわないで、

「きれいなものも、みにくいぶぶんも、読者の心に残れ!!」

 とぶつけてきてくれる描き手が。


 大人の方、家族をお持ちのかた。お子さんがいらっしゃったら、彼らの手の届く場所に、こっそり「どうぶつの国」の単行本を置いてみませんか?手にとってドキドキ。読み始めたら、しめたものです。次も読みたがったら、きっと私などよりもよほど強く「雷句先生の伝えたいこと」を受け止めているのです。
 「残酷だ」なんて陳腐な台詞で遠ざけるより、その「残酷さ」からそれゆえの痛みと光輝く命意味を、宝探しのように探してもらいたいです。

 まぁ、ルビが振ってあるといっても、結局は一緒に読まなければ読めない部分もあると思いますが(汗)。絵本のように、一緒に読むことが出来たらいいかもしれませんね。

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Author:えんり 
キレやすい幼い心をそのままに大人になったキッズ

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