私事のブログ

ただのチラシの裏

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「ドリフターズ」平野耕太 登場人物などをいまさら書いてみる

なぜいまさら書くのか。それはなんとなく書きたいから。いちいちwikiひくのがめんどいよって人用。
しかし誰が見るのかはなぞ。自己満足。
どの漫画もそうだが、基本単行本読者なので2巻までに限定。ちょういまさら。
多くをwikiから引用しています。あとは本を見ながら。早く早く3巻出ろ。

とりあえず数が多いので、1巻に出てくる漂流者-漂流物(ドリフ)だけまず



-島津 歳久
「薩摩武士」「薩人マッシーン」「妖怪首おいてけ」など、複数の名誉称号を賜る人物。基本的にこの時代の武士と呼ばれるご職業の方は、現代人と生死感がまったく違うので、恩義とか志とか信念とかであっさり死ねたりする。そして簡単に他人に死ねと言えたりする。そして実行する。特殊能力は「狂奔」。日ノ本言葉以外をしゃべるときは注意しろ。
15歳の時に初陣の沖田畷の戦いにて、侍1人を討ち、手柄を上げたのが首おいてけとしての第一歩といえる。
第一巻で、関ヶ原の戦いのさなか、叔父の「島津義弘」を逃すために、徳川勢相手に決死の「捨て奸(すてがまり)」を敢行。捨て奸とは簡単に書くと

殿隊の中から小部隊を裂きその場にとどまらせ死ぬまで足止めをさせて、その舞台が全滅したら同じことを繰り返すというトカゲの尻尾切り戦法。
座禅陣とも言う。鉄砲を持った兵を退路に配置。鉄砲兵は命中力向上と敵から視認し辛くするためにあぐらをかいて座らせておく。胡坐をかいてるから基本的に死亡確定。義弘自身は戦場で孤立した際に切腹を覚悟したが、豊久に撤兵を促された。殿の先陣を切ったことからもわかるように、敵中孤立した時点で豊久は義弘を逃すために死ぬ覚悟を決めていたのだろう(もっとも、薩人マッシーンは出兵の時点からいつでも死ぬ覚悟を決めていそうだが)。あっぱれ薩摩武士。

この撤退戦は、金ヶ崎退き口(かねがさきのきぐち)と並んで、日本戦国史上もっとも壮絶と言われる二大退き口「島津退き口」として伝わっている。豊久本人はこのときに死亡したとも、近くの村に落ち延び、そこで村人に拒絶され無念の内に死んだとも、手厚い看護を受けたが、その後村人に嫌疑がかかるのを忍びなく思い自害したとも言われている。とりあえず死んだというお話し。生死不明というわけではないのだがなぜか漂流者に属している。公式には死亡したが、死亡したときの状況がよくわかっていないから、ということらしい。確かに豊久が廃棄物というのは想像し辛い。
ちなみに、作中に、この「島津退き口」にて豊久が傷を負わせた「伊井直正」は、その後の戦後処理で西軍側の講和や謝罪の取次ぎなどをし、島津と徳川の和平交渉にも尽力した。直正自身は、この島津退き口で受けた傷がもとで死亡している。余談だが、真田親子の助命嘆願をしたのもこの人。

おとよひさは人生葉っぱ隊。葉っぱのようにほっといたらいつの間にか落ちている命。生きてるだけでラッキーな人生捨てがまっちゃってる人。


-織田信長
第六天魔王様。日本史を勉強する上で、端っこの島津は出てこなくともこの人は必ず出てくる。織田の産んだ焼き討ちマッシーン。なにか迷ったら、決めたら、悩んだから、そして何かをごまかすときにとりあえず敦盛を踊るダンスマニア。世が世ならDDRマニア。殺してしまえホトトギス。火をつけてしまえホトトギス。
天才すぎてなかなか周囲に理解されない。それゆえに「大うつけ(大ばか者)」と言われていた。それでも父である織田信秀、教育係の平手政秀、沢彦宗恩、斉藤道三、濃姫、羽柴秀吉、そして幼いころからの部下たちなどと、以外に理解者には恵まれていた。
天下布武(これは沢彦の案という説もある)とか考えちゃって、朱印とかに使っちゃう。
裏切られマニア。いっぱい裏切られている。とどめの裏切られはキンカン頭から。お城をあげたら裏切られた。「与えたら裏切られるということをしらなかったのだ」とは、竹中重門の談。裏切られちゃった理由としては、このキンカン頭というあだ名が原因だったという説もある。まぁ様々な確執あってのことなのだろう。信長は気に入った人間にあだ名をつける癖があり、キンカンもこれに当たるのだろうか。やっぱ与えたら裏切られちゃった。

本能寺の変の流れは、武田征伐の戦勝祝いで徳川家康が安土城訪れ、このときに信長は光秀に接待役を命じた。この接待中に信長は、備中高松城攻め中の秀吉より援軍の要請を受ける。このため、光秀の接待役の任を解き、援軍に向かわせた。
江戸以降に「明智軍記」などによって類付する説で、このときの接待内容に不満を感じた信長は、森欄丸に命じて光秀の頭を叩かせた、とある。この屈辱が謀反の原因になったという説もある。
この接待の十数日後、信長は中国地方遠征の出兵準備のために上洛し、本能寺に逗留していた。このとき、秀吉への援軍のために出兵していたキンカンが突如京を襲撃、本能寺を攻めた。光秀は兵の信長への忠義心を考慮し、標的が信長であることを隠していた。信長は100人ほどの手勢で本人も槍を持ち奮戦したが圧倒的多勢に押され、本能寺に火を放ち、自害した。放火マスターの最後はやっぱ放火だった。
信長の死体は出ていない。と、いうのも、当時本能寺は織田軍の補給基地のような使われ方をしており、大量の火薬が備蓄されていた。これに火がつき本能寺もろとも信ちゃんが爆散してしまったためである。ほかにも、秘密の脱出口からうまく逃げおおせたという説もある。生死不明なので漂流者に分類される。


那須与一
よいちー。なす家の産んだゴルゴ13。狙撃の王様。そげキングとは別。
漂流者葉っぱ三人衆で、一人だけ生きた時代が違う。仲間はずれ。弓の腕を上げるために練習をしすぎて、左右で腕の長さが違ってしまったと伝わっている。バキューンバキューン。
船の上に立った扇を射抜いたという話しが有名。そして踊っている人もついでに射抜いた。バキューンバキューン。
10人のお兄様がいたのは事実。美形なのかはしらんが。そのうち十一男の与一と兄の十郎為隆を除く9人のお兄様がみんな平家にお味方をした。後に十郎お兄様もなんかの罪を得たために十一男でありながら那須家の家督を継ぐことに。なんという勝ち組。それからよいちーは、各地に逃れていたお兄様たちを赦免し、領地を分け与えている。よいちーは優しい子である。
異説にあたるが、梶原氏との争いのために家督を捨てて出奔し越後に渡り、子孫をもうけたという説がある。ほかにも、没年は偽装であるなど、どこかあやふやなところが多いので漂流者になっちゃった。源平合戦の源氏側としては、九郎判官義経、弁慶、畠山などと並んで有名。え、畠山は知らないって?残念。源平史最強との声が多い坂東武者、いうなれば陸戦型ガンダムです。


-ハンニバル・バルカ
カルタゴの将軍。雷光おじさん。ローマ史上最大の軍略家。
子供のときに、生涯ローマに敵対することを父親に誓わされる。
ローマの軍人であり執政官のプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨルとはしょっちゅう戦っている。いうなれば夫婦的な存在。両方男だが。
軍略の天才だが、もちろん常に勝ち戦というわけではない。第二次ポエニ戦争では手痛い敗北を喫している。
政治家的な手腕も高く評価されている。カルタゴの便利屋。しかし手法が強引で、カルタゴ内に反ハンニバル派の台頭を許す結果となり、それが元でシリアに亡命した。シリアの参謀としてローマ戦に参戦するが、王や若い指揮官に疎まれ彼の案は採用されず、シリアは敗北。その後はクレタ島やビテュニア王国へと亡命した。これを知っていたローマが、元老院の使者としてビテュニアを訪れたティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスを通してハンニバルを引き渡すように要求した。これを察知したハンニバルがは逃亡をしようとしたが、果たせずに自害した。没年は紀元前182年か183年といわれているが好敵手であるスピキオも、ローマ元老院かた弾圧を受け政界を退き、183年にローマとは遠く離れた地で没したとされる。2人とも没年がほぼ同年であることから、セットで漂流者としてお呼ばれしたっぽい。まぁ後年の2人は漂流してたようなものなので、来る前から漂流者だったりする。ハンニバルのスピキオへの「パクリ野郎」発言は、スピキオの戦法が、ハンニバルがカンナエの戦いでとった戦法を踏襲したものであるからだろうが、作中のハンニバルは喜んでいそうな気もする。


-プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル
大スキピオ。スキピオ家の産んだローマ直産の万能兵器。政治も軍事も出来る。噂だと神々と交信したりもするらしい。父や兄弟もスピキオなので、区別するために「スキピオ・アフリカヌス」、または単に「スキピオ」と称される。つまりはスピキオ家代表選手。ピノキオとにてる。名前が。よくスピキオと間違える。
ハンニバルにもそう書いたがだが、この2人はしょっちゅう戦っている。ので書くのがめんどい。17歳のときに勃発した第二次ポエニ戦争がきっかけでその名を高める。
生涯を通じて無敗であったという。
ハンニバルを破ったり、終身執政官や終身独裁官に、との提案が何度もなされる(本人はこれを全て断っている)英雄スピキオだが、アンティオコス3世からの賄賂を受領した嫌疑で告発され、このことでスキピオは窮地に立たされる。このときにスキピオの窮地を救ったのが大グラックスである。スキピオはグラックスに感謝し、自分の5歳の末娘コルネリアが成人した暁には、グラックスの嫁にすることを約束している。うらやましい話しだ。スキピオ自身はこれ以降政界から退き、変わりに彼と対立していたカトがその発言力を高めていく。こうしてみると政敵からの攻撃だった可能性も高い。
晩年のスキピオははカンパニア地方のリテルヌムで過ごし、2度とローマには戻らなかったという。ただ、晩年の彼の記述はほとんどのこっていない。死因も不明で、葬儀などを執り行ったという話しもなく、そもそも彼が死んだという話しもなかったという。漂流者にふさわしい生死不明者である。もしかしたらハンニバルとひそかに会い、そこを召喚されたのかもしれない。
余談だが、スキピオはハンニバルのことを敵ながらにとても尊敬しており、その戦略を学びハンニバルを破った。そして当のハンニバルも、スキピオのことを認めていたという。ザマの戦いから数年後、エフェソスに亡命していたハンニバルと再会し、言葉を交わしたという記録がある。スキピオが
「史上最も偉大な指揮官はだれだ」とハンニバルに問いかけたところ
「第一にアレクサンドロス大王、第二にピュッロス(エペイロス王)、そして第三に自分だ」といったという。
「では、ザマの戦いであなたが私(スキピオ自身)を破っていたらどうだ」と聞くと
「そうなれば自分が一番だ」といったという。素直ではないが、これはアレクサンドロスの上にスキピオが位置する、といっているようにも見える。そしてそれを倒したとなれば、自分が一番である、と。
ツンデレ。



ワイルドバンチ
-ブッチ・キャシディ
-ザ・サンダンス・キッド
強盗団。人殺しはしないよういつも努力していると主張しながら、実のところバンバンぶっ殺しまくっている。リーダーはブッチ・キャシディことロバート・ルロイ・パーカー。ちなみにザ・サンダンス・キッドはハリー・ロングボーという。2人はほぼ同い年である。
強盗したらばらばらに逃げて再結成するという習性がある。大きな犯罪の内容は主に列車強盗。銀行強盗などもやっている。民兵団との銃撃戦とかもしているが、ここでメンバーが何人かいなくなる。理由はお察し。
逃亡の末に一人ずつ減っていき、ついにはキャシディとザ・サンダンス・キッドはボリビア騎兵との銃撃戦の上に死亡したといわれている。「どこに行ったって俺たちに明日なんかねぇよ」とは、まぁそういうことであるだろう。が、現在でも繰り返される定説として、2人は実は生き延びていたといわれている。この生死不明感が、漂流者に選ばれた要員だろう。好き勝手やって死んでいったのだから、廃棄物にはならなそうである。ちなみにブッチのガールフレンドであり、ともに逃亡していたエッタ・プレースは、1909年にサンフランシスコで目撃されたのを最後に完全に消息不明になっている。ブッチとサンダンス・キッドが死んだとされる翌年のことである。
この「ワイルドバンチ」という団の名前は、ウィリアム・”ビル”・ドゥーリンの結成した「ワイルドバンチ」からとられている。
あとは映画みてくれ。


-菅野直
「イエローファイター」、「ブルドッグ」、「菅野デストロイヤー」。旧日本軍のクレイジー飛行戦士。紫電改を駆り大空を駆けた人生葉っぱ隊航空部門代表。

中学1年の頃までお姉さんに添い寝してもらった甘えん坊。石川啄木の大ファンであり、短歌大好き。サークルまで作るほどの文学軟派少年だった。
1938年12月に、後海軍兵学校70期生として入校。戦闘機専攻学生となる。訓練中に教官機に接近しまくってあわや接触、着陸禁止区域に着陸を試みて飛行機を何台も破壊。ゆえに「菅野デストロイヤー」の名誉称号を授与する。この称号は「菅野、飛行機壊しすぎ、こわい」の意味である。破天荒の飛行機遊び。まさに破天荒遊戯。
1944年4月、初代隼部隊の分隊長に任命。南洋に進出する。同年7月、部隊解散後に第201海軍航空隊の分隊長を任ぜられる。軟弱な坊やはすでに卒業していた。自機の主翼を相手の垂直尾翼に引っ掛けて武器飛ばしたりというクレイジーな、よく言えばイカレタ戦い方をした。輸送機で墜落すれすれのスタント飛行をして、敵の奇襲を逃れるということもあったらしい。そのままルバング島に不時着。救援の到着まで原住民に対して王様のように振舞っていた。つまり、亜人たちにあがめられるのも、彼にしてみては慣れたことだったのだろう。
その後、源田司令の着想で編成された剣部隊、戦闘301飛行部隊「新選組」の隊長に着任。菅野は源田司令を心服し、大変仲がよかったらしい。菅野が部下である宮崎勇を伴って、無断外泊で温泉に行ったときにこの源田実と温泉で鉢合わせるというエピソードがある。このとき源田は「温泉はいいのう、気をつけて帰れよ」と言い、明らかに軍法違反である2人を咎めることがなかった。菅野は「さすがおやじ(源田の部隊内の愛称)だ」と関心したという。このことからも分かるとおり、源田は菅野をとても気に入っていた。後に語る最後の出撃の際に帰らなかった菅野を思い、弟を失ったかのように感じたという。・・・余談が過ぎた。好きなエピソードだったもので。

九州に向かうB-24の編隊を発見したとの報告を受ける。菅野は部下である紫電改20機をつれ、撃墜すべく大村基地を出撃。B-24編隊を発見し、敵上方より急降下(菅野は、急降下にてコックピットだけに狙いを定め、接近し寸前でかわすという攻撃方法をとっていた)に入ったとき、同隊二番機である堀光雄飛曹長の無線に「ワレ、機銃筒内爆発ス。ワレ、菅野一番」と入電がある。ドリフターズ作中で紫電改の砲門が足りないことは、このことを踏まえてのことである。堀ははるか下方にて水平飛行をする菅野を発見。左翼日の丸の右脇に大きな破孔があったという。堀は責務を果たすために戦闘行為を中断し菅野機の護衛に回るが、菅野は戦闘空域に戻るように指示。それでもかまわずに護衛をする堀に対して、仕舞いには拳骨を振り回して怒りをあらわにし、再度戦闘空域に戻るように指示した。泣く泣く戻る堀は、その瞬間に菅野の顔がふと和らぐのを見たという。その後、戦闘中に再び菅野より「空戦ヤメ、全機アツマレ」との入電。菅野がいると思われる空域に向かう途中「ワレ、機銃筒内爆発ス。諸君ノ協力ニ感謝ス、ワレ、菅野一番」との入電があった。これを最後に菅野の消息は不明となっている。
B-24爆撃編隊は撃墜数0と報告しているか、近隣空域でP-51の一団が陸軍機疾風と空戦、4機を撃墜と報告している。しかし、この日にその空域を疾風が飛行したという記録はなく、紫電改との誤認とおもわれ、その4機の中に菅野も含まれていると考えられるが、事実は確認できておらず確定されていない。
作中の菅野の階級は大尉だが、終戦後の9月20日源田は菅野を空戦での戦死として二階級特進を具申し、8月1日管野は戦死と正式に認定され中佐に昇進した。最終階級は海軍中佐である。
ドリフターズでは、この最後の入電の直後に召喚されたものと見られる。
破天荒の変わり者とされているが、wikiなどの情報を見る限り、人間味があり人にも好かれている人物と見える。戦中の人物であることから、色々な見方があるだろうが、個人的にはこの人物がすき。


番外
オルミーヌ
おるみーおっぱい。

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Author:えんり 
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